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ガリバー旅行記ならぬ・・・完結編!

私に不可能は無い!とでも思っているのか
はたまた、私には夢を叶える力が有る!
とでも思っているのか・・・

両親が亡くなった後
姉・兄からの相次ぐ依頼に
文字通り東奔西走した時期が
有りました

姉が2X4の輸入住宅を建てたいと言うので
東京の2X4専門の一級建築士の友人に依頼
その間イギリスに出向きアンティークの
買い付けをしてコンテナの段取りや輸出入の
作業を全て引き受け姉の住む家と仕事場が完成







外資系商社に勤めていたからと言っても
物流のプロだった訳でなくイギリスに行って
外資系商社勤務時代の取引先の部長に
物流業者を紹介して貰ったり乙仲を
紹介して貰ったりあっという間に
姉の夢を叶えました

田舎の生活が余りに快適で
東京のアパートを遂に処分して
今治に戻って来ることを決意

暫く海の見えるこの美しい家に住み
姉のお手伝いをしたり
何度も旅に出たり
必然の出会いも有って
結婚して娘を授かり
新たな人生を歩み始めました



私が結婚→出産したことを聞きつけ
スイスから飛んで来たカルメンちゃん
瀬戸内の海はスイスの湖のようだと

そしてアメリカでは佳代子さんとベンさんが
「もう子供も授かったことだし留美も来ないね」
と言ってた矢先に一歳になる直前の娘を連れて
また渡米(笑)


これには流石の佳代子さんもびっくり(笑)

そして子育てしながら兄から依頼された
アメリカ進出の準備に着手(笑)
アメリカ中のシーフード輸入業者を突き止め
コンタクト取ったり展示会の招待状送ったり
忙しかったー!

そして初めて兄夫婦と一緒に
ロサンゼルスのシーフードショーに
参加した時の写真がこちら(笑)


何故かガンショップに連れて行かされた
一歳半の娘(^^;;


展示会が大成功してアメリカ中に
輸出することになりアメリカ中の
取引先を訪問した際に私と娘だけ
ちょこっとロードアイランドに住む
キャレンちゃんに会いに!


そしてロサンゼルスのお客様訪問時は
もちろん佳代子さんとベンさんに会いに!

この頃ベンさんの闘病を経て
マクロビオティックの食事を始め
とても健康に痩せてった二人
もちろん佳代子さんから情報を得て
私もマクロビ始めてました


まだ一歳の娘を連れてシンガポールにも出張
いつも姉や義姉が付き添いに付いで来てくれて
皆で力を合わせて達成した海外進出


娘が二歳になった時にはオーストラリアへも

三歳の時は確か中国と韓国にも行ったはず
写真は無いけど

そして輸出業務も一段落して
初めての長期休暇は姉二人と
インドネシア バリ島へ!


バリ出発の日はあの恐ろしい911
出荷した生鮮貨物が全て空港で足止め
バリからアメリカ中に電話したあの日
本当に恐ろしい一日でした


そして4歳になった娘を連れて
またアメリカへ(笑)
離婚を決意した旅でもありました

その半年後佳代子さんからの国際電話
ベンさんが危ないと・・・
電話を受けたのが深夜

翌朝大阪まで行き
航空券を当日買い付け
一路ロサンゼルスへ!

ほんの少し間に合わなかった(T_T)
でもベンさんと電話越しに
最後の会話を交わせたのが
せめてもの救い・・・

一週間ほど滞在したら
ちょうど娘の5歳の誕生日
佳代子さんやベンさんファミリーが
お祝いしてくれて娘は訳も分からず
大はしゃぎ・・・



そして娘が6歳直前の長期休暇はインド!


馬車の運転手のおじちゃんと


ガンジス川のほとりで


また姉も一緒(笑)


ヒマラヤを遠くに眺めながら

小学校に上がったばかりの娘を
海外に連れ出すのは流石の私も出来ず
娘独り姉に預けて再びスイスへ!


大親友のカルメンちゃんの結婚式に参列!


まだセレブ気分だったので
イタリア製のスーツ新調して参加(^^;;
でも娘が待ってたのでトンボ帰り!

それから色々あって佳代子さんと二人
私たちの人生を変えた食事法を
皆さんにお伝えしたくて
マグノリアを始めてからは
皆さんご存知の通り!

10年よくじっとしてられたもんだ
と自分を褒めたくなります(笑)

これからは娘が世界に翔び立つ番!
楽しく同伴させて貰うつもりです

最後は駆け足になってしまいましたが
瀬尾留美子20年の放浪記終了です
最後までお付き合い有難うございました!
10年後にまた「ガリバー旅行記・・・それから」
なんてのも有るかもですよ(^ ^)

では、これで安心して2015年
ゴールデンウィークの仕込みを
始めさせていただきます!

皆さんにお会い出来るの楽しみにしてますね!

ガリバー旅行記ならぬ・・・世界一周編


二度目のタイ・ヨーロッパへの翌年
1997年秋はとても忙しかった!

ロンドンの友人ルイーズが結婚
その一週間後ロードアイランドで
キャレンちゃんの結婚式

ロンドンの友人ルイーズとは
スイスの友人カルメンを介して知り合いました
二人とも当時スイス銀行東京支店で働いてました
夜な夜な六本木に繰り出して三人でよく遊んだ
そして必ず広尾の高級マンションに住む
カルメンちゃん家にお泊まり(笑)
二十代後半は大好きな二人とずっと一緒
もちろんカルメンも結婚式に参列
その後数日イギリス南西部を旅して
新婚旅行に旅立ったルイーズご夫妻の
ロンドンのアパートに宿泊


大親友のカルメンちゃんとブリストルの海で!


故郷ブリストル古城での盛大な結婚式


式場入場前に民族衣装で着飾った
ルイーズの親族


新郎新婦


ルイーズが私と付きあわせたかったスティーブ
何度か東京でも食事したけど
どうしても好きになれなかった(笑)

海外(特にアメリカ)では公の場には
必ずパートナー同伴で出席するのが常識で
その時遠距離恋愛で付き合ってた彼と
別れたばかりの私はパートナー無しで
友人の結婚式に参加(^^;;

先進的なイギリスでは全然OKだったのに
アメリカのキャレンちゃんの結婚式では
悲惨な目に・・・(T_T)

見渡す限りカップル
唯一夫に先立たれたおばあちゃんと私だけ
シングルーーーーーー(苦笑)

セレモニーの後おばあちゃんと
悲しくダンスしました(笑)

おばあちゃんとダンスしてるとこ
誰かが面白がって撮ってくれてたんだけど
残念ながら写真紛失(良かったー!笑)

で、こちらがキャレンちゃんと夫ブライアン



それからまたまた佳代子さん家へ〜〜〜!

の前に日本から合流した友人達と
セドナ・サンタフェへ







ありえんでしょ〜?
アリゾナの雪!
凍死するかと思ったよ〜(^^;;

そして向った太陽いっぱいのカリフォルニア!


まだマクロビ始める前の佳代子さん夫婦
間違った菜食で太ってしまってる(笑)


夜な夜なベンさんの演奏聞いて超ご機嫌

こうして本人も望んでいなかった
三週間の世界一周の旅は終わり。
世界一周と言っても飛行機で
地球一周回っただけでした!笑

この一年は激動の一年
イギリス系商社からがっぽりと
退職金を頂いてたので
アメリカに住む彼に何度も
会いに行ったり一緒に旅したり
結局はお別れすることになったけど
人生で一番恋してた一年でした!
その時の初々しい写真がこちら!



ふふふ。。。。
コントラバスを演奏する彼の姿は
私だけの思い出にしときましょう!

次回は実家のお手伝いを始めて
娘と共に世界を駆け巡った編!

お楽しみに(^^)/~~~

ガリバー旅行記ならぬ・・・二回目のヨーロッパ


バブル絶頂期外資系商社に勤めていました
ものすごい勢いで出世して(笑)
最後はイギリス人社長のアシスタント
どんだけ信頼されてたん?
て言うくらいいつも側に置いてくれてました
(秘書とは別格で)

母が他界してから6年後 父も癌に冒され
同じ過ちは繰り返したくないと
潔く仕事を辞め帰郷
一年ほど父に寄り添い看病した後
父は母の命日翌朝に息を引き取りました
まるで母がお迎えに来たように・・・

東京のアパートもそのままに帰郷
いずれは東京に帰るつもりでいました
心の整理をつけるためにも
一度旅に出ようと
大学時代の友人や
商社勤務時代の友人達の元へ

まず最初に再びタイへ
大学時代の友人夫婦にご挨拶

大学卒業後航空学校へ行き
パイロットの資格を得た彼は
タイの国内線のパイロットと
チェンマイで農場を経営と
活躍してました
もともとマレーシア出身の彼女と
仲良かったのですが
大学時代から熱々の二人の
手料理をずっと食べさせて貰ってた(笑)
彼はどんな料理人より料理上手で
パッタイなんて最高に美味しかった
そんな彼の元に嫁いだ友人は
東南アジアの富裕層の奥様といった感じ
メイドに全て任せ 優雅な生活を送ってました


チェンマイの農場に連れてってもらった時


放牧中の牛の大群にも遭遇したり


夜は農場で豚の丸焼きをご馳走になったり(涙)
農園の従業員達にとって年に一度食べられるか
食べられないかのご馳走だったらしく
大喜びでグリルしてました(T-T)
突然豚の鳴き声が聞こえてきた次の瞬間
あっという間にこの状態に(T-T)
美味しそうに頬張る皆さんの横で
なんとも切ない気持ちでいっぱいでした

動物性のものを食する人みんな
こういう経験は必要だと思う

それから向ったのはオーストリア
商社勤務時代に仲良くなった
ダニエラと彼に会いにまずインスブルックへ






ダニエラとダニエラの馬


当時の日本では考えられなかった
どんな山の中でも携帯が通じるオーストリア

そりゃそうだよね、国土全部山なんだもん
通じなかったら困るわね・・・なんて思ったり

それからウィーンに出張するダニエラの彼の車に乗り
ウィーンを目指す
当初は電車で行こうと思ったのよ!
でも勿体無いから乗ってけって!


途中リンツに立ち寄りお昼ご飯食べたかな

ウィーンのホテルも彼がいつも使ってるホテル
到着後は別行動 その後プラハに向う彼と別れ
ウィーン観光


シューンブルン宮殿を見学中
夕方から開催されるコンサートを
どうしても見られなくなったから
チケット貰って!と見知らぬ人から言われ
それを見ていた地元のおじいちゃんと二人
この荘厳な建物の前でおじいちゃんと
クラッシックを聞いた夜
楽しかったなー!

オーストリアギャラリーでは
念願のクリムトの抱擁を見て
その大きさと美しさに心の底から驚き

幸せに包まれてウィーンを後にしました

次の目的地はザルツブルグ

親愛なるモーツアルトのお墓を訪れ


ザルツブルグの古城で開かれた弦楽コンサートで
モーツアルトを堪能し


美しい街並みに酔いしれ

親友の住むスイスへ

チューリッヒに到着

当時スイス銀行本部に勤めていた親友のアパートへ直行
ほんの少しチューリッヒ観光





中世の教会でシャガールのステンドグラスにも出逢い
感動ひとしきりした後
友人の実家のあるバーゼルへ


これがスイス銀行東京支店に勤めてた頃からの
大の親友のカルメンちゃん

なんとご実家はプール付!

もちろん泳がせて貰ったよ!


それをプールサイドで嬉しそうに眺めるカルメンちゃん
優雅やな〜〜〜


シャワルームもお洒落でしょー?




バーゼルの街並みを少し堪能した後
カルメンちゃんの愛車アルファ・ロメオで
一路イタリアへ!

アルプスの麓に掘られた
国境トンネルの長かったこと!


着いたのはフィレンチェ

まず絶対行きたかったウフィッツィ美術館へ


生ビーナスの誕生を見


ジオットやチマブーエを堪能し

シエナ→サン・ジミリアーノへ


多分これはシエナ?


こんな石畳がローマまで続いてるって聞いて
馬車の轍の跡を見て馬の厩舎を見て
タイムスリップ

「私は確かにここに居た」

シエナとサン・ジミリアーノで
確かな感覚が甦ってきて
とても不思議な感覚を覚えました


それから有名なピサの斜塔も見て

カルメンちゃんと一緒にオペラ「カルメン」を見てから(笑)
チューリッヒに戻り帰国しました!

カルメンちゃんがまだ東京に居た頃
一緒にグアムに旅をしたり
日光に旅をしたり
色んなところに旅をしました

東日本大震災が起こった時は
即座に電話をくれて
「日本に住めなくなったらスイスに来い!」と
強く強く勧めてくれた生涯の友達

この旅の十年後彼女の結婚式にはもちろん
娘を置いて結婚式に参列させて貰いました!

タイの友人もスイスのカルメンちゃんも
ロンドンのルイーズも
アメリカのキャレンちゃんも
国を超えた生涯の親友です。

他言語を話すって本当に素敵なことです
これからの子供たちにはぜひぜひ
他言語を習得して欲しい
きっと戦争もなくなるだろうから・・・


ということで!次回は奇しくも
世界一周旅行となった
アメリカの親友キャレンちゃんの結婚式と
ロンドンの親友ルイーズの結婚式への旅編

お楽しみに!

ガリバー旅行記ならぬ・・・その6


あと数単位残して卒業という時に
日本から「母危篤」の一報

悩んだ挙句一時帰国

母は私が中学生の頃
乳癌を患いその後転移
入退院を繰り返してた

病状が回復して
突然父と私と旅に出たいと言う
父がいつも使っていた旅行会社が
用意したのは近場の香港・マカオへの旅

物心ついた頃からずっと
働き詰めで一緒に旅する
なんて皆無だった両親と
初めての旅(そして最後の・・・)



繰り返される放射線治療と
抗ガン剤治療で母の体は変わり果て
浮腫みと疲労感と吐き気と
見ていて切なくなつほどに

それから暫く一緒に過ごしました
私の唯一の仕事は母のお世話
通院の運転や夕飯の支度やら

22歳の夢見る少女には
その時間の流れ方の辛かったこと

それでも時々自分の時間を取って
日本に会いに来てくれる友人たちと
クリスマスを祝ったり夢を語ったり
香港の友人と会ったり



そんな半年が過ぎた頃卒業式を迎えました
いつも立ち寄るカリフォルニアの
佳代子さん家にストップオーバー


兄のように慕ってたベンさんと
ビール飲んだり


バーベキューしたり〜(笑)


夜はベンさんの仕事場へ付いて行ったり〜

楽しい数日間を過ごした後
ニューハンプシャーへ


無事卒業式に参加できました!
大好きな教授Dr. Kaliski と


キャンパスでこんな写真も撮らされたり〜(笑)
人生で一番楽しかった
キラキラと輝く時間

卒業式から帰って来て
「もう無理だ!」
一生ここで母の面倒を見るわけにはいかない
私には私の人生がある!進まなきゃ!

そう思い父に相談すると
「それが一番良いと思う」
と私の決断を後押ししてくれ
ジャパンタイムスの求人欄を
手立てに就職先を独り決め
東京へと旅立った

するとまたすぐ母の具合が悪くなり
毎週末飛行機で病院通い
最後には私が倒れそうになり
病院で点滴して貰ってから
帰京してた数ヶ月

母の最後の日だけ飛行機を予約せず
急遽夜行バスで帰ったあの夜
静岡辺りで燃え盛る炎を見て
「もう駄目だ」そう感じた

やっぱり間に合わなかった

それから三年くらい
自分を責め続けたかな

息をするのも辛くて
「どうして?」と
自分を責めて・・・

自分を責め続けても
何にも良いことはありません

若いから ナイーブだから
まだ生き方も何も知らない
親に庇護され続けた子供だったから
立ち直るまでに相当の時間を要した



ん?数単位残してたんじゃ?
そう思われた方もいるでしょう

実は!学期途中で成績優秀だったので
教授に涙目で相談すると なんと!
心優しい教授陣 単位くれたんです

日本では起こりえないことが
広きアメリカでは起こる(笑)

私がどれだけ努力して
優秀な成績を取り続けてたか
母危篤という切羽詰まった状況で
志半ばで帰国することを
心から憐れんでくれた教授たちの
人として何が大切かをいつも考えながら
生きてきた人達の優しい決断で
私は学位を得ることができました

アメリカという国は魔法のような国です

何度も何度もアメリカに帰りたくなる
そんなおおらかで慈愛に満ちた国です

今日も最後までお付き合い下さり
有難うございました!

きっと老後はアメリカにいるだろう
瀬尾 留美子より愛を込めて(^з^)-☆

ガリバー旅行記ならぬ・・・その5

いよいよ単独アメリカ大陸横断の巻!

一学年が終わる5月末
佳代子さんから一本の電話
ベンさんがフリーウェイで事故
救急病院に運ばれ全身ギブス状態
通院するのもバスを乗り継ぎ2時間
アメリカに来て2年
不慣れな環境の中必死で独り
耐える佳代子さんを想うと
居ても立ってもいられず
数日後には車に飛び乗り
カリフォルニアを目指してた

思い立ったら即行動の私の癖は
この頃既に体中に染み込んでた(笑)

当時私が乗ってた中古のアメ車


Chevrolet Malibu 1980
実際はもっと汚かったけど(笑)

近所のディーラーに大陸横断する事を告げ
念入りにチェックして貰いいざ出発!



多分このルートを辿ったと思う(^^;;
両親が亡くなった後実家に置いてた
思い出の品々を沢山処分してしまい
この時使ってたロードマップも今は無い

先に卒業してシカゴ近郊に旅立った
マレーシア出身の友人宅に寄り道



心から歓迎してくれた彼は
私に内緒でイリノイ川の
ナイトクルーズまで予約してて(^^;;

夜に蒸気船に載せられた
白人満載の(^^;;


翌朝元気に旅立つ前の記念撮影まで
させられて(^^;;



こっちは先を急いでるっつーの!
とはもちろん言えなかった(^^;;

それからかの有名なルート66を南下
途中アメリカ中央部を通過するごとに
人種まで違うんじゃないか?という位
カウボーイハットとカウボーイブーツの
嫌味ったらしいおじさん達に睨まれ
カフェに入ることすら出来なかった

当時その辺りで東洋人を見かけることは無かった
しかも!ガソリンスタンドで煙草吸ってる
小学生位の男の子も居たりして
一刻も早く通過したい地点だった

アメリカの選挙結果にも如実に現れる
知性の差というのを垣間見た瞬間

友人と別れた翌日フリーウェイ上に
何かそびえる・・・



近付いて車を停めてよく見ると



マ、マクドナルドじゃないかー!
もうたまげました!
周りに何も無いところにポツンとマック
これじゃあ頭の具合変になるよな〜
そんなこと思いながらひた走る





一日約10時間!

夜はフリーウェイ沿いの安そうなモーテルを見つけては宿泊



映画の中でしか見たこと無かった情景
しかしこんな感じのところに5泊した
結構快適で安全だったよ



しばらくすると遥かなたに
グランドキャニオンらしき山
通過するのに数日掛かった(^^;;



いやあ!アメリカってほんと大きい!

そして最終宿泊地と私が勝手に決めてた
ニューメキシコ・アルバカーキで事件が!

二時間おきに休憩して水と氷を
クーラーバックに入れて
タオルを漬けて首に巻いてても
数分で乾いてしまう砂漠の中の運転で
喉はカラカラ、頭はボーっ!
ドライブインで再び水を補給しようと
車から降りた瞬間
「ヤッチマッター!!!」
鍵を付けてエンジン掛けたまま
ドアロックしちゃったんですー(T_T)

昔の車の構造ご存知な方なら
それがどんな大事件か分かるよねー(^^;;

もうそこから一歩も進めないわけよー(T_T)
周辺に居た屈強そうな男性を見つけては
助けて貰おうと何度もお願いするが
ハンガー持って来て錠前師のように
ロックを開けようとしたり
皆んな小技で何とかしようとするんだけど
一向に開かなくて(T_T)
こんなとこで足止めくってられるかーっ
と気合い一発
後部座席後ろの小窓を叩き割った
素手で(爆笑)
その時の周囲の男性陣の顔
今でも忘れられない(笑)

壊れた窓ガラス
日除けのTシャツを窓からぶらさげながら
走るニューメキシコでは見かけない
ニューハンプシャーナンバーの
小さな怪しい東洋人が運転する車は
ハイウェイパトロールの目にとまり
何度止められたことか!
FBIにまで問い合わせてたよ(笑)

想像してた以上に早く到着した私の姿を見て
ゴミ出しにパジャマのまま外に出てた
佳代子さんが私を見つけた時の顔ったら!

幻を見てるに違いない!そう思ったのか
家のドアをピシャリと閉めて中に入ってった

「えーーーーーーーっ!?」

5000km旅してこれですかいー?
そう思った瞬間目をこすりながら
佳代子さん再び登場(笑)
そこで初めてハグしてくれました!

しばらく滞在して飛行機で
ニューハンプシャーまで帰りました

思い出の愛車は佳代子さん家に置いて

きっと佳代子さんが乗れるだろうから

私は学校内では必要無いし
買い物なんていつでも友人に頼めるし

卒業して売ったとしても
大した金額にならない程
ボロボロのマリブだったから

窓の修理費は掛かるだろうけど
それが最善だと思ったから



ベンさんも無事退院してきて
最後のディナーを楽しんだ後
別れを告げカッコよく(?)
ニューハンプシャーへ帰ったとさ!

おしまい!

この数ヶ月後母危篤の電報を受け
日本に帰ることになるとは
夢にも思っていなかった
幸せな輝くような日々・・・

次回は卒業式のお写真どすえ〜(^ ^)

ガリバー旅行記ならぬ・・・その4

初めてのクリスマス休暇
帰国するや否や旅支度をして
初の東南アジアへ

訪れたのはタイ

かの有名なパタヤビーチ(だっけな?)


こんなこともしたりして


お空飛んじゃいましたー!

それから向かったのは
今も親交のあるマレーシアの友人宅
大家族の住む家の写真は何故か無い


立派なモスクと


早朝の太極拳を見学する意味不明なポーズの私

中国から全世界へと広がった華僑の朝の習慣
世界中の朝の公園で太極拳に勤しむ彼らの姿を
何度見たことか
ほんとパワフルな人種です

そしてクリスマス休暇もあっという間に終わり
雪深いニューハンプシャーへ戻り
また勉強の日々
寮の私の部屋です 一応机も有ったけど
ほとんどベッドの上か図書館で勉強してた



窓の外はこんな景色


この頃には中古の車買ってたので
朝起きてまず雪掻きから始まる
スノータイヤ無しで運転する技術を
極めた留学でした(笑)

それでも春が来ると旅の虫が収まらず
空路メキシコへ
マヤ遺跡を見学したりして
生贄の話に衝撃を受け
その設計技術に衝撃を受け
夜な夜なテキーラで衝撃を受け
真っ黒になるばかりか
顔中の皮膚が剥がれるほど日焼け
とんでもない旅でした(^^;;



5月になると寮のルームメイトたちは
皆んな卒業
アメリカでジューンブライドが多いのは
5月に卒業してそのまま結婚しちゃう
カップルが多いから?なんて思ったり



寂しいので暫くマレーシアの友人と
アパートを借りルームシェア

そして次回はいよいよアメリカ大陸横断の旅

50年近く生きてきて
何度となく引越しを重ねると
紛失した写真もかなり有るようで
記憶の中には鮮明に残ってる映像が
残されていない・・・

その内技術が進んだら
記憶の中の映像もプリント出来るように
なる日がきっと来るね!

今回ひょんな出来事で
自分の半生を振り返ることになり
これも必然だったと深く感じ入っています

今流行りの「今、ここ、この瞬間」だけに
人は生きているわけではなくて
生きていく上で体験してきたことの
結果が今の自分に繋がっているんだ

そう思うと佳代子さんと出逢ってから
30年以上の同じ時間を過ごしてきた意味の
重要性に今更ながら気付いたのです

そして目を見ながら
深々とお礼を言えました
いつもいつも私に寄り添い
最も必要な時に最も必要な学びを
提供し続けてくれた佳代子さんや
毎朝往復二時間かけて通ってくれる
由美子ちゃんに頭を下げずには
いられなかった

この想いを伝えることなく
ある日突然別れが来てしまったら
そう思うと少し怖くて
今回心から二人にお礼を言えたこと

ガリバー旅行記ならぬ・・・
今のところ大成功です(笑)

皆さんも自分の人生を振り返り
全ての必然に感謝しながら
今を、そしてこれからを
歓びと共に生きてください!

必要な時に最も必要な人達を
神様はそっと側に置いて下さってるのだから

歓びと共に生きましょう!

ガリバー旅行記ならぬ・・・その3


食べて・・・


食べて・・・


食べて・・・


こんなおデブになっちゃったー(笑)
大学主催の国際交流ナイト☆
色んな国からの留学生達が
母国の民族衣装や伝統芸能を
現地学生や地元の方々に披露する
年に一番の大掛かりなパーティー
姉が送ってくれた着物を着たけど
太り過ぎっしょー(笑)


ま、アメリカ留学すると誰しも
巨大アイスクリームの罠にはまる
ニューハンプシャーと言えば
今や表参道にも進出してる
ベン&ジェリーの本拠地
ほんまアイス美味しかったのよー(^^;;

ダイエットも兼ねて毎日スイミングしたり
ジャズダンスクラブに所属したり・・・


私じゃないよ(笑)
いつもノートを貸してくれてた
親友のキャレンちゃん♪
器械体操してたから
発表会ではバック宙も披露!
(キャレンちゃんが!)


どうか私を探さないでください(^^;;
どう見たってわかるよねー
日本からのドラ猫 Rumi (笑)
演目はもちろん"CATS". へへへ(^^;;


何だか充実した毎日を送っていたら
日本から会いに来てくれた男子もいて
一緒にニューヨーク・ペンシルベニアに
旅行したり・・・
素敵な彼との旅行なのに
まるで私は浮浪者(笑)
当時日本で流行してた
コム・デ・ギャルソンの服なんだなー(^^;;


夏休みが始まってすぐ
ツアーコンダクターのバイトしたり
色んなことして
将来どんな職業に就くべきか
模索してた日々・・・

何にでもなれると確信してた
(今もそうだけど!笑)
楽しかったとしか言いようが無い

そ・し・て!
夏休みの終わり再び佳代子さんの待つ
(正直待って無かったと思うけど!笑)
カリフォルニアへ♪


二回目でベンさんの子供達にも遭遇
この時まさか二十年後にこの子から
プロポーズされるとは思ってなかった!
毎年毎年会いに行ってたから
家族のように愛してくれた・・・

ベンさんが息絶えそうだと
佳代子さんからの国際電話
翌日の飛行機に娘と二人飛び乗り
カリフォルニアに向かった春の日
離婚したばかりで小さな子供連れで
大急ぎで辿り着いた私達親子を
優しく迎えてくれたベンさん一家

ベンさんが佳代子さんや私に注いでくれた
愛情は計り知れない

その証拠に!
「どうしてもメキシコに行く!」
と言って聞かない私達に
銃を手渡し、使い方を教え
愛車のシボレー'70と私達を
朝早く見送ったベンさん

銃の練習してる写真は見付けること
できなかったけど
メキシコの砂漠を佳代子さんと二人
ベンさんの愛車でかっ飛ばした
懐かしい記憶だけは
いつまでも忘れない


まるでテルマ&ルイーズ(東洋人版)

が、しか〜し!
このシボレー、エンストしまくり!
砂漠のど真ん中でエンストした時は
正直「終わったな・・・」と思った

そしたら!陽気なメキシカンハットを被った
おじさん達満載のトラックが近付いて来る
「きゃーーーーーっ!」
佳代子さんは銃を持ち私はハンドル握り締め
胸の高まりを抑えながら事態を見守る

トラックを降りて来たおじさん達が
いきなり車を押し始めるじゃーござんせんか!

「ありがとー!ありがとー!!!!」
と手を振りながらその場を去った(笑)

無事アメリカに帰国した時の安堵感ったら!
だって国境検問所の長ーい車の列の中
エンストしないようにアクセル踏んだり
ブレーキ踏んだり(^^;;
何が怖かったって、ベンさん、
あんたの車が怖かったよ!!!
と帰宅して二人の東洋人になじられた
可哀想なベンさん(^^;;

まだまだ私達との付き合いは続くのでした!

つ・づ・く

次回はアメリカを離れ
初の東南アジアへの旅編

お楽しみに〜\(^o^)/


ガリバー旅行記ならぬ・・・その2

前回の瀬尾留美子放浪記第1話に
登場しなかったおフランス最終日



お決まりのエッフェル塔観光を終え
ヨーロッパ最後の晩餐



初めての本格的ワインとフルコースに
へべれけになり翌朝起きるのも辛かった
記憶しか無い・・・

その後約一年覚悟を決めて留学準備

選んだのはアメリカの片田舎
「ライ麦畑で捕まえて」の著者
J.D.サリンジャーの住む
緑豊かなニューハンプシャー


当時一番仲の良かったインドネシアからの
ファンキーな留学生ニタとキャンパスで

カナダとの国境沿い位置するこの州は
メインとバーモントに挟まれ
ボストンにも程近い東海岸に位置する
古き良きアメリカの面影が残る場所



「マディソン郡の橋」に登場していた
こんな橋も幾つか点在していて
秋になるとキャンプもよくしました



夏休みのキャンパスで留学生向けの
語学研修に参加していた友人達と
ほぼ毎週末ボストンへ繰り出した夏(笑)
彼らはスペインからの留学生
よく一緒に遊んだよ!
今はきっと子煩悩なおじさんだろーな!


お気付きの方もいらっしゃると思いますが
当時の日本では黒いデザイナーズブランドが
流行しててブティックに勤めていた姉から
最先端の洋服が送られ続けてきたため
日本に居た時はいっつも黒い服ばかり!

やっと日本を離れて自由に自分の服を
選べるようになった喜びったら!!!
無意識の内に無理をしてることって
実は多いんだよねー
そういう意味でも本当の自分に逢いに
一度外へ出てみることをお勧めします


本格的な夏休みになっていそいそと
佳代子さんの住むカリフォルニアへ!
私が留学した時期と佳代子さんが
嫁いだ時期が同じだったというのも
運命だよね〜。
この時は残りの人生一緒に仕事するなんて
夢にも思って無かった!
兄の同級生で姉と仲良しだった
近所のお姉ちゃん感覚だった(笑)


若かりし日の佳代子さんとご主人ベンさん
そして死ぬまで恋してたベンさんのお母さん
アイルランド移民のマリアン

マリアンはね、パイ作りの名人で
ブルーリボン賞を取ったほど
美味しいパイを作る人だった

ベンさんファミリーとお別れして
向かったのはサンフランシスコ
リムジンバスの運転手に紹介された宿
これがまた怪しい通りの不思議な宿で(^^;;



日本人観光客とは一人も遭遇せず(笑)



人寂しい裏道だったよ(笑)
その名もラーキンストリート
まだ名前忘れらない(^^;;



ベンさんはね、ジャズドラマー
夜になると色んな場所で演奏してて
よく聴きにいってました
演奏終わると夜のドライブ
フクロウの居る場所を見つけるのが
得意な人でした
バードウォッチングへも
よく連れてって貰った



うわーーーーっ!
気が付けば自分の半生を
振り返っているじゃないかー!?

まだまだ先は長いけど
膨大な写真の整理が出来て
ちょっと嬉しい(笑)

こうしてアメリカで過ごした
最初の夏が終わり
秋から本格的に大学生となり
しゃかりきに勉強に励んだ

最初の内は教授の話についていくのが精一杯
いつも隣の子にノート借りて復習してたな・・・

そんな一学期が終わり
いよいよ初めての春を迎える

次回は恐ろし〜い写真からの始まりです
ひっひっひ(笑)

つ・づ・く

ガリバー旅行記ならぬ・・・

単一民族の島国に住んでいると
多様性というものに耐性がなくなる
そんな気がします

幼い頃にある若きクリスチャンが
瀬戸内を指差しながら私に
「この海の向こうに母国アメリカが有る」
そう言ったからか
はたまた前世の記憶からか
幼い頃から海の向こうへの
憧れが人一倍強かったように思います

もちろん地理を学んでからは
瀬戸内の向こうにアメリカが
有る訳無い!ってことは
知りましたが(笑)
それでも尚、いつか必ず・・・
という気持ちがいつも心の片隅に
あったような気がします

決して裕福ではない漁師町で生まれ育ち
昼夜を問わず働き続けた両親のお陰で
初めて海の向こうに渡ったのが
1985年3月

それから20年位は毎年どこかへ
多い時には年に何度も
旅をしてきました

世界には195カ国もの国が存在しますが
私が訪れることができたのは
ほんの二十数カ国

独りマイカーでアメリカ大陸横断した時の
投稿が皆さんの印象に残ったのか
近年稀に見るアクセス数でした

本当はマグノリアの記事で
最高のアクセス数を目指したい
ところですが(笑)
皆さんがわくわくするような
旅行記をこれから折に触れ
綴っていきたいと思います

どうか末永くお付き合いを!

1985年3月
イギリス全土が暖かなオレンジ色の街灯に
包まれている景色を食い入るように
飛行機の窓から眺めながら
ヒースロー空港に。
一路イーストボーンという
海沿いの小さな街に向かい
一か月間の語学研修

様々な国の友達が出来ましたが
一番印象深かったのが
タイ王室血統のおじさん
なぜか写真が見つからないのですが
その名も
チャーレムチャイチャンシルパコーン!笑
後日アメリカ留学した際に
タイ人の友人に聞いたところ
確かにタイ王室の名前だとか!

もっとお近付きになっとけば良かった!
欲深い私は数年後深く後悔したのでした(笑)


一か月もの間語学力も海外滞在経験も無い
私の面倒を見てくれたホストファミリー
後日アメリカ留学した際には
寮の電話番号を突き止め
国際電話まで掛けてきてくれた
心優しいファミリーです

今では交流が途絶えてしまったことを
深く後悔・・・


週末のロンドン観光も楽しみの一つ
こちらはビックベン?


これは間違い無くロンドンブリッジ!

その後二週間のヨーロッパ観光へ

ロマンチック街道とやら沿いの
ノインシュヴァインシュタイン城?


ハイデルベルク


何故かずっと私の後を追って来た
愛らしいドイツの少年(笑)


ケルンの大聖堂


メルヘン街道とやら沿いの小径で(笑)


オランダのチューリップ畑で当時の親友と


パリの蚤の市


チェイルリー公園だっけな?笑


もちろんルーブル美術館へも


コンコルド広場だっけな?笑


モンマルトルの丘近辺

とてもナイーブで世間知らずだったので
この旅でかなり鍛えられました
確かベルギーにも行ったのだけど
写真紛失か?
何よりもオランダの自由な国民性と
その語学力に驚いた旅でした
地図を覗き込みながら行く先を
確かめていると美しい金髪のお兄さんが
日本語で話しかけてくる
道案内に留まらず家にご招待して下さり
お茶まで頂いちゃったり(@_@)

余りにも世界史も世界の流れも
知らなさすぎた19歳の春
それから私の猛勉強が始まるのです

つ・づ・く

追伸 最後まで読むと佳代子さんと私の
ピストル練習事件まであるよ〜(笑)


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愛媛県今治市玉川町にあるマクロビオティックカフェです。

詳しくは

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をご覧ください。

連絡先

MAGNOLIA(マグノリア)

〒794-0109

愛媛県今治市玉川町長谷甲1060-1

0898-55-4350

CafeMagnolia55@gmail.com

午前9時半〜午後5時半

カフェ営業 木〜日

定休日 火・水

毎週月曜料理教室

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